The Axis/東ヨーロッパ旧枢軸国の歴史

エピローグ自衛隊青春回顧録後書

★私が自衛隊を去って幾星霜もの時が経過した。
在職当時、世話になった多くの方々が、定年退職や転勤等ですでに部隊にはおられない。
しかしながら、相も変らぬ当時のままの風貌と行動特徴で、今も在職する隊員達もいるのは嬉しいことだ。
やがては彼らも自衛隊を去る日が来るだろうが・・・。
自衛隊を2任期満了で退職した私は、その後2年間、外国語専門学校に学び、アメリカでの短期留学も経験した。
自衛隊での経験と同じく、海外での生活体験は、私の人生における貴重なものとなった。
帰国後は、約9年間、大手クレジット会社で勤務した。
この会社では、文字通り身を粉にして働いた。
自衛隊で培った体力や根性が生かせた職場でもあった。
その後は、細々と俳優稼業をやりながら、今は某市で、通訳と翻訳業に従事しながら、怪傑ハリマオの如く東南アジアを徘徊している。
自分の半生を振り返ってみると、本当にいろいろな経験を積ませていただいた。
自衛官時代もまたしかりである。
自衛官であったからこそ、あのような体験ができたし、自衛官を辞めたからこそ、その後の体験もできた。
今の偽らざる心境である。
自衛隊を退職して久しく今日まで、部隊での経験を何かの形にしたいとの思いはあった。
実際に、アメリカ生活体験記は、ひとつのサイトにして啓上してある。
しかしながら、自衛隊での体験は、あまりにも内容豊富なものであったので、一つの文章にまとめる機会を逸していたのである。
冒頭に述べたように、この自衛隊青春回顧録は、私の個人的な体験談である。
当時の自衛隊と現在の自衛隊では変っていることもあるだろうし、変っていないこともあるだろう。
執筆にあたっては、なるべく当時の私の日記や資料等を参考にしたが、思い違いや度忘れも多々存在すると察せられる。
数々の貴重な助言を頂いた現職の○尾1等陸曹や比○1等陸曹には、深甚の感謝の意を捧げたい。
今後も、わが国がかつてのような全面戦争に巻き込まれることはないだろう。
しかしながら、不審船に見られるような敵対行為や局地的な紛争は、皆無であろうとは言い切れない世界情勢でもある。
また、阪神淡路大震災に見られたような災害派遣は、国民の負託に応える自衛隊の重要な任務である。
私は自衛官として、国防に関与する仕事に就いたことを今も誇りに思っている。
将来、予備自衛官や私のような元自衛官まで招集されなければならないような事態は起こらないだろう。
だが、「一旦緩急あれば義勇公に奉じ(※)」という気持ちだけは持ちつづけたいと思っている。
最後に、この拙文をお読みいただいた方々に心からお礼を申し上げます。

おわり。



第3師団司令部前にて
(第3師団司令部庁舎玄関にて)


※「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」
明治23年10月30日に煥発された「教育ニ関スル勅語(教育勅語)」の中の一節で、国家に一大事が起こった時には義勇を以ってかけつける、という意味。


※文中に登場する個人名、団体名、組織名等は一部架空及び仮名であり実在のものと異なります。

有刺鉄線

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