第7普通科連隊歌

福知山駐屯地福知山駐屯地

★大津駐屯地における前期教育を終了した私は、JR湖西線に揺られて京都駅に向かった。
ここから山陰線に乗り換え、後期教育隊のある福知山へ向かうことになった。
この福知山にある陸上自衛隊福知山駐屯地の第7普通科連隊教育隊にて後期教育を受けるのだ。
同期の大澤、東川、弓削、鈴木、図詞の5名も同行する仲間だ(以下、敬称略)。
私は福知山に関しては、全く地理的な知識がなかった。
恐らくは、京都から20-30分ぐらいの所かなという具合に気楽に考えていた。
ところが20-30分どころか、1時間経っても目的地にはまだ着かない。
それどころか、次第に乗車している列車の線路の周りに山々が迫ってきた。
どうやら、とんでもない田舎に向かっているらしいことが分かってきた。
結局3時間近く経って、ようやく目的地の福知山駅に到着した。
駅には部隊から差し向えのジープが待っていてくれた。
運転手は、雲助士長(陸士長=階級・当時、尚、雲助は愛称で本名は忘れた!)である。
福知山駐屯地は、JR福知山駅から車で数分のところにあった。
ここは旧陸軍歩兵第22聯隊が駐屯していた場所であり、兵舎も一部当時のものが残されていた。
私は、弓削2士及び大澤2士(2等陸士=階級、当時)と同じ、後期教育隊第2営内班に配属された。
第7普通科連隊教育隊は、4個小銃班と1個重迫撃砲班との5個班で構成されていた。
私達大津駐屯地から来た者以外は、皆、この福知山駐屯地で前期教育を受けた者ばかりであった。
私達の班長は萩原2曹(2等陸曹=階級、当時)で、これまた濃いおっさんであった。
(萩原2曹とは今でも付き合いがある。)
そうして教育隊長は森田2尉(2等陸尉=階級、当時)であった。
福知山の後期教育隊に着いて、何よりも驚いたのは、その設備の古さであった。
真新しい大津駐屯地の教育隊とは大違いだった。
床もセメントが剥き出しで、個人ロッカーも2名一組で使用、私物入れも年代物の木製であった。
ここで私の生涯の想い出になる地獄の訓練が始まるのだ・・・。


※文中に登場する個人名、団体名、組織名等は一部架空及び仮名であり実在のものと異なります。

有刺鉄線

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