Bridge too far/遠すぎた橋

外出許可外出許可

★苦しい訓練の日々ではあったが、前期教育隊とは違い、週末には余程のことがない限り外出は許可された。
前期教育隊では外出制限があったので、大津市内を徘徊するなどの経験はあまりなかったが、ここ福知山では毎週末には必ず市内を徘徊できた。
もちろん飲酒も黙認された(教育期間中は、平日の飲酒は原則として禁止であった)。
噂では、福知山は日本で一番人口比率に対する飲み屋の多さで有名な街とのことであった。
私が本格的に酒を覚えたのは、この福知山である。
新入隊員で、あまり給与がない私は、よく同僚の大澤や照(てらす)と安酒場で酒を飲んだ。
福知山駅前の大衆酒場「大八車」は、私達のお気に入りであった。
大酒を食らっては、女や国防について熱く大言壮語して語り合ったのも懐かしい。
また、この頃はいわゆるビニ本が流行りだした頃であり、よくそのような書店にも出入りしたものだ。
さらには、市内のピンク映画館は、お決まりの自衛隊割引があり、度々足を運んだ記憶もある。
ピンサロの「ミス・ハワイ」にもお世話になったものだ。
もちろん、時には泊りがけで実家へも帰省した。
JRと私鉄を乗り継いで、たっぷり4時間近くはかかった。
何故か、同郷で北海道の部隊に配属された知人よりも、関西なのに帰省に時間がかかるのだ。
いわゆる、福知山は陸の孤島に近かったのかも知れない。
酒と夏の福知山踊りと後期教育隊での厳しい訓練しか記憶がない町ではあるが、福知山は私の生涯の想い出に残る町である。


※文中に登場する個人名、団体名、組織名等は一部架空及び仮名であり実在のものと異なります。

有刺鉄線

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