北部方面隊歌

東富士演習場東富士演習場

★新入隊員の後期教育終了の検閲を兼ねて、第7普通科連隊が参加する演習に加わり、初めて富士山へ行くことになった。
名神高速道路をトラックの荷台に揺られて数時間、途中浜松で休憩して、東富士演習場に到着した。
残念ながら富士山は雲に隠れて見えなかったが、昼間は雲に覆われていることが多いようだ。
しかしながら、翌早朝には初めてその雄姿を仰ぎ見ることができ、いたく感動したものだ。
これから約一週間の演習が始まるのだ。
行軍、戦闘訓練、歩哨勤務訓練などが行われるが、富士山周辺の大地は火山灰でできており、歩くと足が取られて、長距離を歩くのは少々体力を要することが分かった。
また当然に穴を掘るときも、次から次へと崩れてきて、これまた体力を要する。
後期教育終了後、更に千僧駐屯地に転出することになっている私や他の3名は、戦闘訓練では小銃小隊には加わらず、対戦車戦闘に配属された。
対戦車戦闘とは言え、陣地の所々に蛸壺(穴)を掘り、その穴の中に潜んでロケットランチャーを構え、敵戦車を迎え撃つのだ。
だから穴ばかり掘らされた。
夜は塹壕に潜んで、交代で歩哨勤務に就く。
当然に不審者(敵兵役の隊員)が近づいてくれば、制止させて取り調べるのだが、相手は今までのように班長や同期の戦友ではなく、ベテランの基幹隊員である。
自信の無かった私達は、塹壕の中で更に体勢を低くして隠れたままで、やり過ごすことに決め込んだ(笑)
これが実戦ならば歩哨線を突破されて、全員戦死か捕虜になる憂き目である。
夜の歩哨勤務はたいそう冷え込んだが、先任士長が携帯燃料で沸かしてくれたコーヒーがとても身に染みて美味しかった。
このように演習期間中は、行軍、歩哨、戦闘の繰り返しの日々であり、その間には鉄条網の施設方法などを習った。
また、その間の食料は携帯糧食であったり、おにぎりなどが運ばれてきた。
状況が終了すると(戦闘状態が終了)、一週間ぶりに補給隊が設置してくれた野戦風呂に入ることができた。
しかしながら、そのお湯はすでに泥水になっていた(隊員達の汗や汚れで)。
そしてそれよりも驚いたのは、自分が履いていたパンツだ!
さすがに一週間も履きつづけると、覚悟はしていたものの、体液や汗や泥水に漬かったりなどで、白いパンツが真っ黒になっていた。
更には、その野戦風呂の中では、すでに酒の入った者どうしがケンカを始めていた。
酒とケンカは普通科(歩兵)の華かも知れない(笑)
施設科(工兵)も似たようなものらしいが・・・。


※文中に登場する個人名、団体名、組織名等は一部架空及び仮名であり実在のものと異なります。

有刺鉄線

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