O du schoner Westerwald/ヴェスターバルトの歌

新入隊員教育終了新入隊員教育終了

★大津駐屯地における前期教育、そして福知山駐屯地における後期教育が無事に終了した。
前期教育は楽しかったが、しかしよくこの後期教育を耐えられたと思う。
もちろん、訓練は厳しかったが、同期の僚友達と福知山市内の飲み屋に繰り出したりなどの楽しい想い出もできた。
福知山市の一大イベントである「福知山踊り」には部隊で参加したりなどもした。
私達転出組5名は、紫垣連隊長へ異動の申告を行った。
この申告というのは、自衛隊では上官への報告としてよくあるものだ。
「気をつけ! ○○以下4名の者は、昭和○○年○○月○○日をもちまして、第三師団司令部付隊勤務を命ぜられました!」
私達転出組は、残留して各中隊に配属される新入隊員や班長達に見送られて、ジープで福知山駐屯地を後にして、一路、千僧駐屯地へ向かうことになった。
教育隊長の森田2等陸尉は、私達一人一人の手を握りながら、「せっかくここまで教えて育てあげたのに、お前達を手放したくない!」と涙を流された。
変なおっさんだなと思っていたが、心は温かい人だった。
その言葉と苦しく辛かった訓練の日々を想い起こし、胸に熱いものが込み上げてきた。
その森田2尉は、定年間近になって、千僧駐屯地の就職援護室に来られ再会することになる。
また、もっとも世話になった萩原2曹(班長)は、その後、千僧駐屯地近くの部署に転属されて、これまた再会することになる。
一般に、自衛隊の教育機関の士官(幹部)や下士官(陸曹)には一見して変な人が多いが、本当はいい人が多かったように思う。
(もちろん、本当に変な人もいる。)
福知山駐屯地には、事務員として和久さんという綺麗な女性が勤務されていて、全隊員の憧れの的であった。
私も密かに彼女に恋心をいだいていたものだ。
今、自衛官時代、殊に想い出多い福知山時代を顧みるとき、僚友達と共に耐えた厳しい訓練と共に、彼女の美しい姿が鮮やかに脳裏によみがえる・・・。


※文中に登場する個人名、団体名、組織名等は一部架空及び仮名であり実在のものと異なります。

有刺鉄線

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