陸軍行進曲其の一

司令部勤務班司令部勤務班

★3月と7月は、自衛隊では異動の時期である。
ある日の7月末のこと、第三師団司令部付隊車両小隊から管理小隊に移り、管理倉庫で作業していた私を、隊本部の隊付准尉(先任)が呼んだ。
隊本部事務所に行くと、准尉から8月1日付けで司令部勤務班配属を命じられた。
実際には、7月27日から司令部にて勤務することになった。
付隊長への申告を済ませると、准尉の付き添いで第三師団司令部総務課総括班へ赴いた。
班の先任者は末広准尉(階級・当時)であり、総括班長の川本3等陸佐と総務課長の松井2等陸佐に引き合わせてもらった。
総務課を始め、ここは司令部なので幹部がたくさん勤務していた。
考えてみれば、前期教育の時には最高の上位幹部は、大隊長の2等陸佐一人であった。
後期教育隊でも連隊長の1等陸佐一人である。
それらの人は、雲の上の人だと思っていた。
しかしながら、司令部にはそのような階級の人はたくさんいたし、陸将の師団長までいたのである。
私は、その司令部の総務課総括班で、庶務係として任期満了まで在職することになる。
司令部総務課は、文書班や印刷班、人事班、それに課を統括する総括班から成っていた。
(当時の自衛隊は、文書作成を和文タイプで行っていたので、文書班にはたくさんの婦人自衛官が勤務していた。)
人間というものは、同じ人間でも人によりその評価は差があるが、私にとっての恩人はやはり総務課長の松井2佐である。
正月には和歌山の自宅に招いて下さったし、何よりも松井2佐の引き立てがなかったら司令部勤務班になど所属できなかっただろう。
当時、私は毎日課業時間外に管理倉庫前においてあったバーベル等でウエイトトレーニングをしており、その姿が課長の目に止まったということだった。
司令部勤務班に所属できたお陰で、私は自衛隊のいろいろな文書を目にしたり、様々な体験を経験することができた。
事務的な業務の基礎を学べたのもここでだ。
松井2佐からは仕事に対する厳しさと、管理職かくあるべしという態度を学べたような気がする。
松井2佐転勤後に後を引き継がれた小池2佐にも可愛がってもらい、総務課在職時は上官に恵まれたと思う。
また、幹部だけではなく、直接に仕事を教えてもらった末広准尉や山口准尉、宮崎2曹や岡山2曹にも感謝の念は尽きない。
特に、山口准尉は定年退官されて、今は長崎県に住んでおられるが、今も季節の便りの交換は続いている。
総務課在職当時の幹部で忘れられない人に、川本3佐がいる。
子供を大人にしたような性格の人で、よく師団史作成の折には、夜遅くまで一緒に読み合わせ作業をした。
同3佐は松山出身の人で、帰省した後には、よくお土産に名物のタルトを頂いたものだ。


※文中に登場する個人名、団体名、組織名等は一部架空及び仮名であり実在のものと異なります。

有刺鉄線

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